mixiであゆみという歌手のPVを見た
彼女は小学1年の時に両親の両方に不倫相手がおり
結果祖母に引き取られ両親に捨てられることになった
このことを歌にしたPVを見た
昔の友人を思い出した
彼女は中学の時両親が離婚し名字が変わった
母方に引き取られたが
その後再婚した男とまた離婚するかもしれないと言われた
彼女は弱かった
酷く弱かった
私には両親がいる
仲が良いとは言えないが
離婚の危機はないような環境で育った
彼女はそんな私を幸せ者だと言った
父親がいないことがどんなに辛いかを話された
父親の文句を言うのは贅沢だと言った
お前は幸せ者で自分は不幸なのだと言った
その通りなのかもしれない
少なくとも私は
名字が変わり周りに注目されたりしていないし
父親がいなくて寂しいと思ったことなど一度もない
だが
彼女から放たれた言葉は
あまりに極端だった
彼女は父親がいる辛さを知らなかった
少なくとも彼女は
父親に殴られたこともなく
厳しく躾られたこともなく
お小遣いは私より遥かに多く
私よりも多くの娯楽を所持し
私よりも多くの自由を持っていた
それで自分が不幸であるという
その意味がわからなかった
私よりも多くの物を手にしている彼女が
どうして不幸なのかと疑問だった
彼女にとっては
父親に怒られないことが寂しかったのかもしれない
父親に憧れていたのかもしれない
夜遅くに帰ってくる父親
顔をあわせない毎日
休日には何かする度に怒られた
誉められたことのない記憶
幸せか
これが幸せなのかと
ぼんやり思った
彼女は両親の不仲のストレスを私にぶつけ
ついには私に言ってはならない一言を放った
その話は今はどうでも良い
ただ思うのだ
幸せかどうかは
結局自分で決めること
他人に指図されるものではない
片親でも幸せだと言う友達はいるし
片親だからこそ自分は頑張れるのだと言った友達もいる
幸せか幸せでないかを
決めつけてはいけない
人の不幸は密の味だが
幸せの決めつけは余計なお世話だ
結局は
物の捉えよう
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